めざすのは、マイクロ波技術による化学産業のイノベーション
私たちの生活に欠かせない自動車・家電・衣料・医薬などの幅広い分野へ原料を提供し、経済の発展を支えてきた化学産業。しかし重厚長大産業は、100年以上も大きな革新が起きていない。
そこで、電子レンジにも使われている「マイクロ波」を活用した独自のテクノロジーで化学産業を革新し、ものづくりの世界にイノベーションを起こそうとしているのが、「Make Wave, Make World. 世界が知らない世界をつくれ」をミッションとして掲げる、マイクロ波化学株式会社(以下、マイクロ波化学)だ。開発拠点は吹田市の大阪大学内にある本社・研究室と、大阪市住之江区にある世界初の大規模マイクロ波化学工場である。
化学産業の従来の製造プロセスでは、「外部から・間接的に・全体に」エネルギーを伝えるが、マイクロ波化学は「内部から・直接・特定の物質だけに」エネルギーを与える真逆の伝達手段をとる。
代表取締役社長の吉野巌氏は、「マイクロ波技術の導入によって、エネルギー消費量は従来の1/3(※)、加熱時間は従来の1/10(※)、用地面積は従来の1/5(※)まで製造プロセスを改善。また、コストダウンや新素材開発、カーボンニュートラルにも貢献することができます」と説明する。
(※数値は大阪市住之江区の自社工場で製造した脂肪酸エステルに関する推計)
2007年の創業時から、産業化は困難と言われていたマイクロ波プロセスの事業化に取り組み続け、マイクロ波技術のプラットフォームを確立。現在は、医薬・電子材料・食品など国内外のさまざまな分野のメーカーや機関と提携。自社の技術プラットフォームをもとに、研究開発からエンジニアリングまでトータルソリューションを構築・提供できるまでになり、2022年6月には東京証券取引所グロース市場でのIPOを果たした。
大手商社を退職し、起業文化が根づく米ビジネススクールへ留学
大阪生まれの吉野氏は、高校・大学時代はアメリカンフットボールに明け暮れた。1990年のバブル期に就職活動を行い、海外に行ける商社勤務をめざし、大手総合商社の三井物産に入社した。
配属先は化学品本部で、おもに石油化学製品のトレーディングを担当。トレーディングの本部が東京で、大企業から個人までを相手に、各自の裁量で多額の取引きができるおもしろい仕事であった。しかし入社して10年が経ち、“海外転勤よりも自分のキャリアを見直すために勉強したい”と考え、三井物産を退職した。
自費でUCバークレーMBAへ留学。バークレーはシリコンバレーのすぐそばにあり、起業文化が盛んな街だった。日本ではまだGoogle社も知られていない頃で、アリババ社もまだ規模は小さかった。MBAの勉強をする中で、ベンチャー企業が新しい技術やサービスを事業化し、世の中にインパクトを与えるさまを見て、吉野氏もチャレンジしたいと考えるようになった。
なかでも刺激を受けたのは、個人がエンパワーされていること。つまり、「一人ひとりが力を発揮し、自らの意思決定によって自発的に行動していること」だった。
「石油化学製品のトレーディングの界隈では、企業に属さず個人規模で売り・買いをする人がいました。『その人だから売買が成立した』というシーンも多く見かけていましたので、“小さな組織や個人でも可能性はたくさんある、むしろそのほうがスピード感をもって大きなことができるのでは”と考えていました」
ビジネススクールを卒業した後、吉野氏はアメリカでの就職を決意。半年かかってようやく見つけた就職先は、シアトルにある環境・エネルギー関連のベンチャー企業を支援する会社だった。日米の事業開発の手伝いや、ベンチャー企業の調査などを通じて、次第に環境・エネルギー分野に興味を持ち、“この大きなテーマで何かできないか”と考えるようになった。
共同創業者との出会い、精鋭チームのプロジェクト方式で事業化を遂行
「お金を稼ぐことは悪いことではない。正しい方法で価値を提供しお金を稼ぐことは、ものごとの実現や課題解決につながる」
商社勤務時代に上司に言われた言葉が、ずっと心に残っていた。吉野氏は「きれいな水やおいしい空気に恵まれた、誰もが望む環境を実現するためには、ビジネスでの解決が最適だ」と感じていた。
転機が訪れたのは帰国後の2006年。友人から、大阪大学大学院工学研究科でマイクロ波化学の研究をしている塚原保徳氏(現共同創業者)を紹介されたのだ。それまで出会ったどの研究者よりも本気で“大学のシーズで世界を変えたい”と考える仲間との出会いによって、“ビジネスを通して環境・エネルギー産業にインパクトを与えたい!化学産業にイノベーションを起こしたい!”という想いは揺るぎないものとなった。
共同創業者である 取締役CSOの塚原氏と(マイクロ波化学社HPより抜粋)
世界的に原油価格が高騰していた翌2007年、マイクロ波技術を活用して廃油からバイオディーゼルを作る会社を設立。化学や食品メーカーなどの工場から出る廃油を原料とし、工場内で製造・販売しようと考えたが、保守的なモノづくりの現場では、マイクロ波という新しい概念の技術はなかなか受け入れてもらえなかった。
さらに、リーマンショックの影響で資金が集まらないという厳しい状況に陥ったが、幸運にもNEDOの助成金を受けることができた。しかし、大切な助成金をできる限り研究費にまわすために、別の仕事で生活費を賄うこともあった。
自社でバイオディーゼルの製造をしようと方針転換したが、事業化がなかなか進まなかった。そこで、“マイクロ波が有効な技術だと証明するためには、自分たちでマイクロ波化学工場を建設するしかない”と考えた。UTEC(東京大学エッジキャピタル)からの投資が実現し、2014年大阪市住之江区に大規模なプラントが完成した。
「一番大変だったのは、実績のないものを価値あるものだと証明することです。IT分野などは一旦プログラムを作って、実際に使ってみて、不具合があれば修正すればいい。でも、ものづくりはそうはいかない。人が怪我をしたら大変ですから、完成品でなければ売り出すことはできません。資金調達ももちろん大切ですが、研究者、エンジニア、生産管理者といった各分野の専門家たちの総合力が要求されました」
IPOを機にマイクロ波技術でカーボンニュートラルにも貢献する
「アメリカへの留学時、ITバブル真っただ中でしたが、あまり興味は湧きませんでした。IT業界は競争が激しく、天才と呼ばれる人物がたくさんいます。その一方で、“ものづくりにおいて技術のプラットフォームをつくる可能性はまだある。ここでなら商社勤務の経験を活かすことができる”と考えたんです」
自分の興味や能力を活かして、どうしたら成功率を上げられるかを考えて起業することは大切。
「私たちが独自の技術プラットフォームをつくり上げられたのは、時間をかけてコツコツと積み上げることを尊重する日本の環境も大きいですね。アメリカなら3回は会社が潰されていたと思います(笑)」
トライ&エラーを経て、『もの』を販売するのではなく、『マイクロ波を使ったものづくりの方法』をメーカーに販売するという現在のビジネスモデルにたどり着いたマイクロ波化学は、2022年6月、東京証券取引所グロース市場でIPOを果たした。
「電気を使ったものづくりはカーボンニュートラル実現のキーだと言われており、当社のマイクロ波技術のプラットフォームが成熟してきている今、IPOのタイミングとしては最適でした」と話す吉野氏。
環境・エネルギー分野の改善、化学産業のイノベーションなどに役立つ事業を、今後ビジネスの世界で実現させていくためには、会社を成長させて売上げを伸ばすことが重要なので、IPOでさらなる事業拡大と人材獲得を行う予定だ。
すべての経験はプラスになる、試したいことはやってみることが肝心
「創業から15年後のIPOは、当初考えていたよりも時間がかかりました。資金が途絶えそうになりながらも、困難に直面すれば方針転換を検討し、とにかく前に進んで結論を出さなければと思っていましたね」と振り返る吉野氏。
起業するためには遠い星、つまり掲げた理想を忘れないことも大切だと言う。「少しずつ方針転換をしてくなかで、どうしても視野が狭くなっていきます。そんなときは、遠くに掲げた星をめざして舵を切っていくことが必要です」
事業が進まず困難が続くときは、かなりのストレスを感じるのでは?と聞くと、「私の場合は好きなことを自分で選んでやっているので、ストレスがないんですよね。商社勤務時代のときはありましたけど」と笑う。
そして、「起業を考え、試したいことがあるならまずはやってみたらいいと思います。やる人はどんな理由があっても実行する。失敗したとしても、その経験は必ずプラスになるはずです」と起業を考える人たちにエールを送る。
今後、研究とビジネスが一緒にできる拠点へ移りたいと考えている吉野氏。大阪大学内に本社を置くこの環境は、留学していたバークレーとよく似ているそうだ。
「例えば、バークレーのときもそうでしたが、大学の周辺にさまざまな会社が集まって、キャンパスに人が自由に出入りしている。そういう見えない『知のネットワーク』からイノベーションは生まれると思うんです」
『Make Wave, Make World. 世界が知らない世界をつくれ』というミッションを掲げる会社を成長させるために、吉野氏のチャレンジはこれからも続く。
取材日:2022年7月5日
(取材・文 花谷 知子)